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ゆとりの法則

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「ビジョナリー・カンパニー2」から学ぶテクノロジーとの付き合い方

こんにちは。hamataroです。今回は本ブログの趣旨とは微塵も関係ない、読書・ビジネスネタをぶっこんでいこうと思います。ゲームも音楽も好きですが、読書も負けず劣らず好きな営みです。お見合いの自己紹介みたいで気持ち悪い。

気を取り直して、今回はタイトルにあるように、AIだとかIoTだとかのIT・テクノロジーバズワードに惑わされることなく、ビジネスを成功に導くための道しるべとして、「ビジョナリーカンパニー2」がとても役に立ちそうだったので、その書評を書いていきたいと思います。若干古い本ですがその研究は色あせることはありません。ちなみに筆者は以前、某外資系IT企業で新規事業創出などに従事していたこともあり、その時の経験なども踏まえています。

今現在、自分自身でテクノロジーを活用した新ビジネスを担当している方だけでなく、逆にテック系バズワードを売りものにしている側の人にもためになる内容にしたいなと思います。

 

ビジョナリー・カンパニー2のあらすじ

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原題がかっこよすぎる...

前置きが長くなりましたが、今回紹介する「ビジョナリーカンパニー2(原題:Good to Great)」は、超有名な前作、「ビジョナリーカンパニー(原題:Built to Last)」で未解決だった疑問を解明するための本として書かれています。

その疑問とは、原題にあるように、「いかにして偉大な企業は、普通の"良い"企業から"偉大"な企業となったのか?」という点です。前作では長期間に渡ってズバ抜けた業績を維持している偉大な企業が、(現時点で)どのような共通点を持っているのかということに焦点を当てていましたが、そもそもどういう経緯でその偉大な企業になったか、という点はあまり研究されていませんでした(ちなみに3では企業が没落する様を研究)。

そして今回もいくつかの偉大な企業を特定の条件に従ってサンプルとして抽出し、かつては同じような業界で同じような地位を築いていたものの、その後没落したそれぞれの比較対象企業との比較をしながら、その要因を明らかにしていきます。その要因とは大きく下記の7点となり、これらがこの本のあらすじとなります。

 

第5水準のリーダーシップ

偉大な企業にはその転換点において、徹底して謙虚だが熱狂的な意欲を持つ、職人のようなリーダーがいた。一方で、カリスマ的な経営者を外部から迎えた企業はその経営者の在任中は業績を上げたが、退任に伴い没落していった。

 

誰をバスに乗せるか

偉大な企業はその転換点において、「誰を選ぶか」をまず決めて、「何をすべきか」を決めた。また、「人材」が最も重要なのではなく、「適切な人材(後述)」こそが重要(単に能力が高い人材という意味ではないと思われる)。

 

厳しい現実を直視する

偉大な企業はその転換点において、どんな困難の下でも最後は必ず勝つという確信を持つと同時に、社内での論争や健全な対立を避けず、厳しい真実を直視した。

 

3つの円と針鼠の戦略

偉大な企業はその転換点において、①それに対して情熱をもっているか②世界一になれるか③その事業の属する産業の経済的現実を冷静に理解しているか、という3つの条件の重なる部分に事業領域を集中させ、それを単純明快な戦略に落としこんだ。針鼠は丸くなるという単純な一点突破の戦略を常に用いる。

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これまで一体いくつ同じ図が書かれては忘れられていったことか...

 

規律の文化

偉大な企業はその転換点において、上述の3つの条件の重なる部分に対して熱狂的な関心を持ち、自ら規律を守るので管理の必要のない人(=「適切な人」)を雇い、明確な一貫性の中でも彼らに自由と責任を与えた。そのため官僚的な仕組みを導入する必要もなく、また従業員の力を結集させるために何かを行う必要もなかった。そしてこれは1人の暴君によってなされるものではなく、組織の文化の力による。

 

促進剤としての技術

偉大な企業はその転換点において、新技術の導入によって転換を成し遂げたのではなく、自社における針鼠の3つの条件を理解することから転換をスタートさせた。新技術はその後になって、その戦略に合致するもののみが選ばれ、転換を加速したに過ぎない。偉大な企業はそもそも競合他社のことすら(真の意味では)考えていなかった。

 

弾み車

上記①~⑥の要素は互いに重なり合うことで転換を後押ししたが、それは果てしなく重い弾み車を回すようにゆっくりと始まり、しかし徐々にスピードを増していった。当初はほとんどの人がその変化にすら気づいていなかった。そして偉大な企業は10年単位での長い試行を経て偉大な企業への転換を果たした。

 

考察

あらあらなすじでしたが、以上が要約になります。気になった方はぜひ実際に読んでみてください。ここからは本記事のテーマに関わる部分と、個人的に気になった部分に焦点を当て、考察を加えていきたいと思います。

テクノロジーの利用には自己理解が前提

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これは偉大なアイバーソン

技術は適切に利用すれば業績の勢いの促進剤になるが、勢いを作り出すわけではない。偉大な企業に飛躍した企業が、先駆的な技術の利用によって転換を始めたケースは少ない。理由は簡単だ。技術をうまく活用するにはまず、どの技術が自社にとって重要なのかを判断できなければならないからだ。ではどのような技術が重要なのか。針鼠の概念の三つの円が重なる部分に直接に関係する技術、重要なのはそういう技術だけである。

- 第七章 新技術にふりまわされない p245より

 

しかし、われわれが偉大な企業への飛躍をもたらした要因を上から五つ上げるよう求めたとき、ニューコアの転換期のCEO、ケン・アイバーソンは技術力を第一位にはあげなかった。第二位にもあげなかった。第三位でもなかった。第四位でもない。では、第五位だろうか。これも違っていた。「主要な要因は、会社の一貫性、組織全体にわれわれの考え方を浸透させる能力、それを可能にした要因として、経営階層がなく官僚主義がない組織だ。」

- 第七章 新技術にふりまわされない p250より

 

偉大さへの飛躍を導いた経営者は、何かを作り上げたいという深い欲求と、高い理想を純粋に追い求める自分自身の衝動とに動かされている。これに対して、凡庸さに陥り、凡庸さから抜け出せない体質を作った経営者は、取り残されることへの恐怖に動かされている。

- 第七章 新技術にふりまわされない p258より

 ほぼ今回の結論を並べ立てているようなものですが、要するに、新技術についていけるかといった心配をするのではなく、そもそも自分たちはどこを本当に目指したいと思っている人間なのかを、単純な戦略として明確にした上で、それに適した人材を集めることが先決である、ということです。もちろんそんなに簡単に人を入れ替えることは難しいので、程度の問題だと思います。

言われてみれば至極当然ですが、個人的な経験を踏まえても、どのような情熱のためにその技術を利用するのか、ということが明確になっていないと、仮に頑張って何かを生み出したとしても、おそらく長くは続かないもしくは誰にも響かないだろうなと思います。大抵はそもそも何も生み出されないと思います。

特にバズワードとなっているテクノロジーについては、他社に差をつけられないように、とにかく何かをしなければならないような気になる会社が多いと思います(というより、それに取り組むよう指示することが、経営層として仕事をしているように感じられるからというのが理由のような気がしますが)。ですがあくまでも、自社もしくは自分が何をしたいのか、という観点から始めるべきだと筆者は伝えています。

逆にテクノロジーを提供する側からすれば、それを理解できていない相手に商売をする場合、(語弊はありますがあえて極端に言えば)騙して売る以外、時間のムダなんだと思います。逆に言えば、相手のそれが何なのか(個人レベルでも会社レベルでも)を理解することは、提案する上で、なにより意義のあることを行うという意味で有効だと思います。もちろん現実は複雑なので、そこまできれいに割り切れるものではないですが、あくまで理論としては。

 

自己理解を進めるためには

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これは偉大なウォルト・ディズニー

情熱をもって取り組めるのは何か。偉大な企業は、情熱をかきたてられる事業に焦点を絞っている。どうすれば熱意を刺激できるのかではなく、どのような事業になら情熱を持っているかを見つけ出すことがカギになっている。

- 第五章 単純明快な戦略 p153より

 

ウォルト・ディズニーはいくつもの遊園地に行き、嫌悪感を覚えた。「汚く、まやかしばかりで、目つきの悪い連中が経営している」と語っている。自分ならはるかによいものができ、たぶん世界一の遊園地を作れると考えた。そこで、テーマ・パークという全く新しい事業に進出し、・・・(中略)・・・同社はこのように、・・・(中略)・・・事業を劇的に変化させてきたが、基本的価値観は一貫して維持している。創造力と想像力への熱狂的な確信、細部への飽くなきこだわり、皮肉な見方の嫌悪、「ディズニーの魔法」の維持などの価値観である。

- 第九章 ビジョナリー・カンパニーへ道 p310より

 

本当に問題なのは、「なぜ偉大さを追求するのか」ではない。「どの仕事なら、偉大さを追求せずにはいられなくなるのか」だ。「なぜ偉大さを追求しなければならないのか、そこそこの成功で十分ではないのか」と問わなければならないのであれば、おそらく、仕事の選択を間違えている。

 - 第九章 ビジョナリー・カンパニーへの道 p330より

面白いのは、熱意は工夫して呼び起こすものではなくて、見つけるものだという点まで言及していること。そしてそれが見つからなければ、どこかで何かを間違えている可能性が高いとまで。

綺麗ごとの理想論にも見えますが、これも程度問題で、目指すに値する目標ではあると思います。ただこれもなかなか難しい問題で、自分の希望だと思っているものが実は周囲の目や世間一般の価値基準を気にして無理に思い込んでいるだけだったりして、事情はフクザツ。

 

官僚的でないが、規律のある組織

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これは偉大なティール組織
ほとんどの企業は、ごく少数、バスに紛れ込んだ不適切な人たちを管理するために、官僚的な規則を作る。すると、適切な人たちがバスを降りるようになり、不適切な人たちの比率が高まる。すると、規律の欠如と無能力という問題を補うために、官僚制度を強化しなければならなくなる。すると、適切な人たちがさらに去っていく。まさに悪循環になるのだ。

- 第六章 人ではなく、システムを管理する

 

全く意外なことに、いかにして力を結集するのかは、飛躍を遂げた経営者にとって大きな問題ではなかった。偉大さへの飛躍を遂げた企業は明らかに、信じがたいほどの意欲を引き出し、力を結集させ、変化を見事に管理してきた。しかし、その点を考えるのに、あまり時間を費やしていない。全く自明の点だったのだ。条件がうまく整えば、意欲や力の結集や動機付けや改革への支持は問題ではなくなる。これらの点は自然に解決する。

- 第八章 劇的な変化はゆっくり進む p282

大事にしているものが違う人と同じバスで走ることは、官僚制を生み出し、「適切な人材」の流出につながる。逆に、その点が一致していると、規律はある程度自発的に生まれ、いちいち社員のモチベーションを上げる必要もない。最近流行りのティール組織とも関連性が高く、色々と示唆に富む内容だなと思いました。

もちろん制約が一切無いわけではなく、例として挙げられている会社の中には予算や目標、経費について厳格な責任を持たせているところもあります。しかしその一方で、各人に創造性を発揮させ、どのようにそれらを達成するか、最善の道を決める自由も責任と同時に与えています。

 

まとめ

  • 何を本当に大事にしているのかを考えること(=針鼠の戦略を明確にすること)から偉大さは生まれる。結構当たり前のことだけど、わすれがち。個人レベルでも会社レベルでも。
  • 針鼠の戦略を明確にしたのちに、それに「適切な人」をバスに乗せることが必要
  • そうすると、官僚的ではないが、規律のある組織が生まれ、偉大な企業への転換という長い道のりの、大きな一歩となる。