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ゆとりの法則

ゆとり世代の筆者が社会人向けに、自身の実践する友達との遊び方をプレゼンツ。

起業家リチャード・ブランソンに学ぶ、有機的な職業選択とは

こんにちは。hamataroです。今回は起業家であるリチャード・ブランソンの生きざまから、職業選択とはどうあるべきかを学ぼう、ということで、彼の二つの自伝である

  • 「Losing My Virginity(邦題:ヴァージン 僕は世界を変えていく)」
  • 「Like A Vergin(邦題:ライク・ア・ヴァージン ビジネススクールでは教えてくれない成功哲学)」

を紹介したいと思います。

 

リチャード・ブランソンとは?

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そもそも皆さんはリチャード・ブランソンという方をご存知でしょうか?1950年イギリス生まれ、御年68歳の実業家です。日本ではあまり事業を展開していないので認知度は低いですが、イギリスに本社を置く多国籍企業、ヴァージングループの創業者で現会長です。有名なブランドでいうと、レコード会社であるヴァージン・レコード(一世を風靡しましたが現在はレコード事業から撤退)や、航空会社であるヴァージンアトランティックなどがあります。一時期は日本とロンドンをつなぐ航空便もありました。その功績が認められ、イギリス女王から騎士(Knight)の爵位も授けられたそうです。なので、正式にはSir. Richard Branson。

彼は事業でも有名ですがその破天荒な生き方でも有名で、全裸のモデルを背負ってウィンドサーフィンをしたり、気球で命がけの大陸横断をしたりと何かとお騒がせ者でもあります。そのほかにも競合を痛烈に皮肉った広告や、時事ネタを即座に織り込む宣伝手法などは有名です(こういうのをジャグラーマーケティングというらしい)。本を読んでいると、彼曰くあくまで戦略的にやっているということですが、元々のはちゃめちゃな性格も起因してると思います。

 

生い立ちと起業の経緯

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ヴァージン・レコード

そんな彼の破天荒ぶりは幼いころから発揮され、中学生の時には家族が所有する畑に400本のクリスマスツリーを植えて売りさばこうとしたりもします。結局野兎にすべてかじられてだめになったそうですが(笑)。彼自身失読症であったこともあいまって、ブランソンはあまり学校になじめず、高校時代には仲間と一緒に「スチューデント」という雑誌を立ち上げる活動に力を入れ始めます。最終的にそのせいで学校をやめてしまうのはなかなか皮肉(笑)

「スチューデント」の発端は理不尽な校則に反旗を翻したことでした。学校のスポーツチームが他校と試合をするときには、全生徒が応援に行かなければならないというルールが気に入らなかった(彼自身ケガでスポーツを断念せざるを得なかったこともある)ブランソンは、これに異議を唱え校則を変えてしまいます。さらには学校給食のありかたなど、様々な不合理なルールを変えていこうと試みます(宗教系の厳格な学校だったことも関係する)。

「ストウ校を改善するためには、宗教的かどうかうんぬんする前に、生徒同士がお互いに交流できるようにすべきだと思います。多くの生徒が、興味深い会話を通して得られる知識に飢えています。話し合える最良の時間は食事の時ですが、ストウ校では実際不可能です。毎日食堂に行くと、決まったテーブルの、同じ生徒の隣に座らなくてはなりません。学校給食もダイニング・ルームのように作られるべきです。生徒が好きな食べ物を選ぶことができ、好きに座り、食事がすんだらフォークと皿を箱に戻すようにしたらいいと思います。現在は食べ残しの量が多く、いつもセルフサービスにすれば、現在いるイタリア人やスペイン人のウェイターの数を半減できると思います。・・・(続く)」

校長先生からは自分たちの主張を校内誌で発表したらどうかと言われたらしいですが、彼自身は校内誌の枠にとらわれない、彼ら自身の編集方針を持った革命的な内容の雑誌を作り、他の似たような学校とも連携をとろうと動き始めます。

そのうち雑誌には有名な政治家や作家による記事も載せるようになったり、発刊のためのスポンサー(広告主)探しも必要となったりと、だんだんと雑誌は大掛かりになっていきます。哲学者や画家などのアーティスト、特にミュージシャンへのインタビュー記事は特に人気が高く、若き日のジョン・レノンミック・ジャガーなども取材したそうです。

ある日、手伝いに来ているメンバーの多くがそういった音楽に関することに多くの時間とカネを費やしていることに気づいたブランソンは、資金繰りが常に厳しい雑誌の経営を安定させるために、雑誌を通じたメールオーダーでのCD販売を思いつきます。当時イギリス政府が小売価格維持契約を廃止したにも関わらず、(おそらくカルテル的なものが理由で)どの店もディスカウントでレコード販売をしていないということを聞きつけたことも背景としてあったそうです。それなら自分たちがやろう、と。

雑誌の売り上げは苦戦していたものの、このメールオーダーからは山の様に注文が届くようになります。どうやらこの時にヴァージンという名前が決まったそうです。このように順調にみえたメールオーダーでしたが、郵便局員ストライキというまったく責任のない出来事によって、資金繰りに大きな困難を強いられることとなります。そこでブランソンは、郵便を介在させない、店舗を構えたディスカウントレコードの小売りを始めます。

ヴァージン・レコード店を「スチューデント」の延長にしたかった。すなわち、人々が出会い、一緒にレコードを聞くことができる場所で、ただ単に走り込んでレコードを買って立ち去る場所にはしたくなかった。彼らにはもっと長い時間いて欲しかったし、店員にも話しかけてくれて、買おうと思うレコードについて熱心に語って欲しかった。人々は、人生の多くのほかのことよりもはるかに真剣に、レコードについて考えている。まるで自分が運転する車とか、見に行く映画とか、好んで着る洋服などのように、レコードは自己表現の手段の一つである。

とりあえずニックと私は、店のイメージを上げることに専念した。客が歓迎されている気持ちになるように、いろいろなアイデアを実施した。ヘッドフォンや、座るためのソファー、ビーズ・クッション、「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」や「メロディー・メーカー」などの音楽雑誌、そしてコーヒーなどを客に提供した。彼らが好きなだけ長く店にとどまって、くつろげるようにつとめた。噂が広まりはじめ、大きなチェーン店よりも、人々はヴァージンからレコードを買いはじめた。ブーツの店ではなくてヴァージンで買うと、同じスィン・リジーとかボブ・ディランのアルバムでも、なにか価値が余計にあるように思ったようだった。

このヴァージン・レコード店は利益率こそ高くなかったものの、大きな成功をおさめます。その一方で、そういった仕事の関係から、レコーディングスタジオが慢性的に足りていないという情報をブランソンは入手します。そして紆余曲折を経て、郊外のとある古びたお城をレコーディングスタジオとして開くことになります。そこからさらにはアーティストを発掘しレコードを出版するレーベルを立ち上げ...と、連鎖的にビジネスを拡大していきました。これ以降の詳細は本書に譲りたいと思います。

ちなみに一見関係の無さそうな航空ビジネスに参入したのも、彼自身にとっては、雑誌や音楽産業に立ち入ったのと全く同じ理由からであったと語っています(以降で軽くネタバレあり)。

 

読みながら考えたこと

私自身他の起業家の自伝を読むことが多いのですが、多くの人はどうしても追いかけずにはいられない情熱からすべてをスタートさせているように感じます。あくまで起業することが念頭にあったわけではなく、自らのやりたいことを追求した結果、ビジネスに手を出さざるをえなかったというように。ブランソンもそうだったと思います。

起業することや起業家に対する世間のイメージは、かつてに比べるととてもよくなってきましたし、実際に起業する人が増えることは、経済としてもプラスの方向に働くと思います。ただその一方で、起業するために起業する、ということも増えているような気がします。先ほども述べたように、起業は本来手段であるので、それを目的にしてしまうと、周りを巻き込んだ不幸な事態を起こしかねません。そんなことを読みながら考えていました。

先ほど述べた起業家たちのような職業の選び方を、有機的・オーガニックな職業選択と言えるのかなと個人的に思っています。こういった職業選択ができる人が増えるといいなと思います。

 

印象に残った部分

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最後に印象に残った部分をいくつか紹介して終わりとしたいと思います。

情熱とは何か

サイモン(ブランソンのいとこでビジネスを手伝っていた一人)は音楽に取りつかれていた。私は大学に行ったことがなかったので、長い夜を、音楽を聴きながら過ごすという経験がなかった。・・・中略・・・すぐにサイモンの音楽の趣味が、ヴァージンの性格を決める上で最も重要な要素となった。レコード・ショップは単なるレコード店ではなくて、趣味そのものの仲介者なのだ。私はどの音楽を販売促進したらいいのか分からなかったが、サイモンはほかの店では手に入らない無名の外国のアルバムを仕入れるという、素晴らしいプランをいっぱい持っていた。ヒップ(かっこいい)なものとそうでないものとの違いはごくわずかなのだが、サイモンはヴァージンを最もヒップな場所にしてくれた。彼は競争に勝つために、航空便でアメリカから直接レコードを輸入しはじめた。・・・中略・・・彼は大型店で売れないバンドを見つけ出してきて、ヴァージンで大量に販売することができた。彼は音楽を知り抜いていたから、バンドが成功する前に、どのバンドが売れるか分かっていた。

 

起業の心構え

起業には、途方もない努力と時間が必要だ。だから楽しんだほうがいい。ウェスト・ロンドンのとある地下室でヴァージンを興したときのぼくには、壮大な計画も戦略もなかった。一大企業帝国を創ろうと思って始めたわけじゃない。ただ、みんなが楽しんで使ってくれるものを創り、そのプロセスを楽しみ、結果として自分が食べていければいいなと思っていただけだ。ぼくにとって事業を立ち上げるうえで一番大切なのは、自分が誇れることをやり、才能ある人を集め、他の人たちの人生に大きな違いを生むような何かを創り出すことだ。

 

直感を信じる

トレンドに先んじることにはリスクが伴うので、直感を信じる力が必要だ。たとえば、ぼくらがヴァージン・メガストアアメリカ1号店をニューヨークのタイムズスクエアに開くと発表したときには、ニューヨーカーにまで頭がいかれてると思われた。アメリカ人の友人にこういわれたのを覚えている。「リチャード、会社を潰す気か?あんなところに買い物に行くヤツなんでいないよ」。ほらね、また赤マントだ。常識的に考えれば、もちろん彼のいうことが正しかった。人気の高い地区を10点とすれば、タイムズクスエアなど4点以下だった。だが、ぼくらにはピンとくるものがあったし、あまり評判の良くない地区だったので、家賃はとても魅力的だった。だから赤っ恥覚悟で、やってみることにした。・・・中略・・・ぼくらが安全策を採り、タイムズスクエアが復活するまで出店を控えていたら、マンハッタンで最もにぎわうこの地区で中核的な存在になることはなかったはずだ。

 

すべてに共通する理由とブランドの意義

ヴァージン・ブランドは、ぼくが”心から引かれること”に一つずつ手を出していく中で徐々に形成されてきた。ぼく自身にも意外だったのだが、それは雑誌作りではなかった。音楽ビジネスでもなかった。振り返ってみると、僕の原動力は、「みんなに楽しい時間を過ごしてもらう方法を見つけたい。それも空港など、まったくそんなことを期待していない場所で」という思いだったのだ。見た目と違って、ヴァージンの専門分野は非常にはっきりしている。お客様や投資家は、ヴァージンを会社というより、一つのアイデアもしくは哲学だと考えている。カギとなるのはヴァージンエクスペリエンス(ヴァージンらしい体験)であり、あらゆる分野でお客様の期待に添うようなエクスペリエンスを提供し続けることだ。・・・中略・・・ブランドは、ある製品やサービスに”何を期待できるか”を伝える手段だ。